創業148年!?文明開化とともに歩んだパンの歴史
■木村屋のあゆみ
明治維新は革命だったと作家の司馬遼太郎がいっている。
木村安兵衛は、この革命の中で自分自身の「革命」を二度やってのけた。
初回は茨城県牛久市の家を棄て、木村家本家の重義を頼って江戸に出たとき。
二度目は重義が所長を勤めていた東京府職業授産所の事務職を辞めて、パン屋を開業した時だ。
安兵衛50歳の大きな賭けだった。
パン屋開店の前年(1868年)江戸城が新政府軍によって無血開城した年でもある。
そして1869年、芝日陰町に日本で初めてのパン屋「文英堂」を開店させた。
この二度の革命があったからこそ木村屋の『酒種あんぱん』は誕生したと言っていい。
木村親子にとってはその後火災やパン職人との別れや出会いがあって明治7年、新生した銀座煉瓦街に本格的に進出を決意できたのも木村親子が試行錯誤の末、ようやく自信を持ってパンを作れるようになったからであろう。
明治初期の銀座木村家
明治初期の銀座木村家
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文明開化とあんぱん明治維新後、西洋文化が急速に流入し、パンも少しづつ普及し始めていたが、明治8年に明治天皇が召されたことで一躍大衆の間でパンが親しまれるようになった。
西洋の食べ物であったパンが日本独自の菓子パンとして庶民に定着し、文明開化を代表する食べ物になった。
文明開化という言葉がはやりだした明治の初期の流行語に「文明開化の7つ道具」というものがありましたが、その内訳は「新聞社」「郵便」「瓦斯灯」「蒸気船」「写真絵」「展覧会」「軽気球」「岡蒸気」そして「あんぱん」が上げられた。
そして明治18年、鹿鳴館時代を反映して銀座に「広目屋」という楽隊を率いる後の「チンドン屋」がお目見えしますが、木村屋が宣伝のためにいち早く採用し、巷間の人気を呼んで銀座木村屋の名は一躍して津々浦々まで響き渡った。
さらに明治20年、歌舞伎の中嶋座正月興行にとりあげられ、当時人気絶頂の初代市川猿之助、中村時蔵、中村寿三郎らの名演技に東都の人気を集め大盛況、おまけにその主演場面のフィナーレを描いた目のさめるような錦絵が売り出され、評判をとった。
詳しくは下記よりご覧ください!
かなり読み応えがありますし、勉強になります!
まとめ:時代とともにイノベーション!木村屋のパンが買えるのは新宿伊勢丹!
いかがでしたでしょうか?時代の節目ごとに今までにない新しいものに挑戦されてきた木村屋さん。
当時パンという海外の主食に、あんという日本伝統の甘味を加えることで、日本人の口に合った商品を開発…もはや偉業です。
この発想は現代でも応用されています。違う二つの要素を掛け合わせることで、新しい商品を生み出す手法はロジカルな思考だけではたどりつけない、クリティカルな考え方です。
既存にとらわれない精神はとても勉強になりますね。
もしかしたらおにぎり型のパンが日本中のコンビニに並ぶ日が来るかもしれませんね?
それではごちそうさまでした!
また次の記事でお会いしましょう!
木村屋新宿伊勢丹店の店舗情報はこちら
店名 銀座木村屋 新宿伊勢丹本店
ジャンル パン
予約・
お問い合わせ
03-3352-1111
※お問い合わせの際は「”食べログ”を見た」とお伝えください。住所 :東京都新宿区新宿3-14-1 伊勢丹新宿店 B1F
交通手段 :
・東京メトロ丸ノ内線・副都心線・都営新宿線「新宿三丁目」駅B5北側出口徒歩2分
・東京メトロ丸ノ内線「新宿」駅A6出口徒歩5分
・JR各線「新宿」駅マイシティ地上3番出口徒歩6分
・新宿三丁目駅から64m
営業時間 :10:00~22:00
引用元:食べログ: https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13064588/